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「神」と「神の子」は違う?!

 高知教区機関紙『光風』令和元年5月号より

 4月7日(日)に、徳島教区の講習会を受講させていただきました。

 講習会のご講話で、総裁・谷口雅宣先生、白鳩会総裁・谷口純子先生が同じ内容にふれられたのがとても印象的でした。

 それは、「神」と「神の子」についてのご指導でした。

 今までは“「亀の子」は「亀」でしょう。だから「神の子」は「神」です”と学んでいたように思います。
 それが、このときのご指導は“「神」と「神の子」は違うのですよ”という内容でした。

 例として総裁先生がお話しされたのは、“「タケノコ(竹の子)」と「竹」は違うでしょう。でもタケノコがなければ竹にならない”と。
 確かに。 タケノコは食べられますが、竹は食べられません。

 そして、谷口純子先生は、“「神の子」は「神の子」であって「神」ではないが、神 の性質を持っている”とご指導くださいました。
 このご指導を受けて心に浮かんできたのが、次の言葉でした。
 「私は神の子、完全円満。これから毎日あらゆる点で一層よくなる」という言葉です。
 この言葉の「神の子」を「神」に変えるとどうなるでしょう。
 「私は神、完全円満」ここまではよくわかります。
 しかし、そのあとの「これから毎日あらゆる点で一層よくなる」という言葉は違和感があります。
 神は既に完全円満なので、これからよくなるのではなく既によいのではないかと。

 そこで上記の両先生のご指導を思い出してみると、吾々は「神の子」であって「神」の本質を持っている。
 しかし、それはタケノコのように未だ現れていない。だから、タケノコが生長していくように、吾々もその本質を現し出すように生長して表現していくのだと。

 「神」と「神の子」は実相においては同じであって、それを現象の視点から見ると、表現の世界なので、未だ完全ではなく実相を表現すべく無限生長の道を歩んでいるのだと。

 谷口雅春先生は実相の側から説かれ、総裁先生は現象の側から説かれたのだと思いました。

 「神の子」という言葉の偉大さを感じます。

 毎日、神想観を実修し、この新しい「令和」の御代に、神さまのつくられた善一元の世界を表現して参りましょう!

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