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映画「降りてゆく生き方」のコンセプトと生長の家の運動

生長の家相愛会高知教区大会で6年前に観た映画「降りてゆく生き方」を紹介しようと思い、ホームページで紹介されていた映画のコンセプトをもう一度読み直して見た。

この映画をつくるために、200人もの方々にインタビューし、300冊以上の本を読破したそうだ。

今読んでも感動した。

そして、生長の家で言っていることと同じようなことが書かれていてまたまた感動した。

それを自分なりに短くまとめてみた。

戦後の日本は豊かさを求め、これこそが幸せの源であると信じ、上へ上へと登る生活、つまり足し算の生活を続けてきた。
しかし、登ってみてそこにあると信じていた幸せがなかった。
それでもまだ上へ上へと登ろうとしている。

これからの時代は上に登ることを目指すのではなく、降りてゆくのだ。
さまざまなものに囲まれどれが大切なのかがわからなくなっているなかで、
これからは何を手放すか、何を捨てるかを考える引き算の生活をするのだ。
そうしてこそ、本当に大切なものが見えてくる。

地球を宇宙からみると、物質圏、生物圏、人間圏に分かれている。
人間圏が生まれたのは、人類が誕生したときではない。
人類は誕生してから長い間、狩猟採集の生活を送っていた。
そのことを次のように書いてある。

即ち、現生人類(ホモサピエンス)に進化した後も、「人間圏」に分化・発生するまでは、人間は他の「動植物と同列の存在」だったのである。
かつて人間は、他の生物(熊、ジャガー、狼、サケ、森の木々など)と人間は、対称的・同列的な存在であり、あるいはかえって、敬い、畏怖していた。そういう「神話的世界観」が発達にしたのは、人間が「生物圏」に属していた時期だったのである。


まさに対称性の論理で生きていたのだ。
それでは、一体いつ人間圏ができたのか。
それは、農耕牧畜の生活が始まった約1万年前からである。
人間の生活が地球に影響を与えるようになったからだ。
それでも基本的には、自然につくりだす物質とエネルギーに依存したものだった。

しかし、産業革命後、余剰生産物が発生し、そこから余剰生産物の流通、そして貨幣経済が本格化していった。
石炭・石油によって駆動力が大きくなり、人間圏が地球システムに飛躍的に大きな影響を与えるようになった。

それはまた、今まで抑圧していた欲望の解放であった。
そして、その欲望の解放をさらに促したのが貨幣制度であった。
お金への幻想が広がり、お金は手段ではなく目的となった。

それが崩壊を迎えようとしている。
これからはお金があっても変えない時代が到来する可能性が高い。
人間を特別な存在と考えるのではなく、自然の一部であり、他の生物と対等である対称性ある存在とみる生き方、
それは縄文人の生き方であり、立ち戻るべき人間圏の原点である。
その縄文人の生き方について、次のように説明されている。

縄文人は、天地自然の理に基づいて、宇宙や自然や生物との一体感の中、自然の恵みに感謝し、祈り、腕力や能力の差異はあれど、相互に尊重しあい、助け合いの協力関係の中で生きていた。

まさに天地一切に感謝する生活。
また、縄文人は森の中で森を大切に生きてきた。
次のように書かれている。

森をつくることは、人間と自然の一体性を体感させ、取り戻させてくれる。
学校教育においても、地域づくりにおいても、森をつくることは非常に役に立つ。 森
をつくることが、すべての問題の出発点であるといってもいいのである。

そして、「生きて行く喜び」を「生き物として」「肉体で」感じるような生き方をすることが大切である。
そのために、「自然」や「動物」や「人間」と一体化するための「祭り」というものの意義をもう一度縄文人や先住民たちに学び、そのスピリットを再現した現代の「祭り」を創り上げるべきである。
自他が一体となる「場」を創造することが大切なのである。


肉体で感じるような生き方、そして、一体化するための祭り、これは自然の恵みフェスタではないだろうか。

このコンセプトは長い地球の歴史を振り返り、日本人だけではなく、人類全体の来し方から、これから先の未来を見透し、今どのように生きてゆくべきなのかを具体的に説いてくれている。
それが生長の家がめざしている方向性と同じであり、とても感動した。
多くの人に観ていただきたい映画だ。

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