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一番最初に頭に浮かんだことを実行する

 一番最初に頭に浮かんだことを素直に実行する。
 初一念を生きる。

 そんなことを、生長の家高知教区の機関紙に書きました。

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“初一念”を生きる

壮年の勉強会

 5月に開催された壮年の勉強会で“初一念”ということについて学びました。
 “初一念”とは、一番最初に心に浮かぶ思いのことで、それは神さまのみ心が現れている場合が多いと云うことです。しかし、その初一念に続いて、ニセモノの我、偽我が出てきます。その偽我は肉体についたもので、楽な方へ楽な方へと誘います。
 この“初一念”について、谷口雅春先生は、『日常生活の中の真理 無門関・聖書篇』に次のようにお説き下さっています。

 卑(ひ)近(きん)な例で言えば、紙屑が往来に落ちていると仮にします。往来に落ちている紙屑なら拾ってどこかへ片付けたら往来が綺(き)麗(れい)になっていいのです。「ああ、きたない!」と思うのは、「綺麗にしたい」と云う第一念が起こっているのです。けれども、「人の鼻紙みたいなものを拾って自分のポケットへ入れたら人が笑いはしないだろうか、極(きま)りが悪い」と思うのですね。これが第二念であって、迷いなんです。第一念は、「そのままの心」即ち実相から素直にでて来た心ですが、第二念は迷いであります。吾々のいのちが「無」になり「無心」になると、何も第三者からどうだとかこうだとか批評されることを考えなくとも、そのまま「無心」を通して催(もよお)して来ることを素直にしておったら一番いいことが自然に出て来るわけであります。 (中略)
実相から催して来る“初一念”がすーっと素直に行動に移されると、それはキッとよいことに変わるのです。 
(同16~17頁)

どうしたら“初一念”を生きられるか

 「“初一念を生きる”、分かっていてもついつい第二念に引っ張られてしまうことがあります」というような質問がありました。その時に口をついて出た言葉が、「決めたらいいですよ」という言葉でした。自分で話しながら、その通りだなあと自分で納得しました。 “でも中々出来ないんだよなあ”と言っていてはきっと一生できないでしょう。それを変えるには言葉の力を使うこと、自分で決めてしまうこと。“初一念を生きる”と決めてしまうと、そういう場面に遭遇したときに、“そうだ初一念を生きよう”とすぐに思い浮かんできます。
 そのことを実感させられる場面がすぐにやってきました。壮年の勉強会の後、参加者で昼食を食べました。食べ終わって片付ける際に、“個々に片付けるよりも同じ物をまとめて全員で片付けた方がいいなあ”と思いました。これが初一念でした。そして、続いて“でもまだ食べている人もいるから、そこまでしなくてもいいか”という第二念が起こってきました。しかし、有り難いことに先ほど“初一念”を生きると決めていました。最後の人が食べ終わる頃に、「同じ物をまとめて片付けましょう」と言って、全員で片付けることができました。なんとも清々しい時間でした。
 本当に小さなことですが、こんな小さなことの積み重ねが、吾々の性格を、人生を創っていってくれるのでしょうね。

“初一念”を生きる~善き種を蒔こう!

 時は、6月。今月は、白鳩会、相愛会、青年会の各組織の2年に一回の教区大会が開催されます。2年に一度、教区中の方が一カ所に集まり、ともに学び合う機会です。
 『光風』を読んでいただいている皆さんも、この教区大会に誘おうと思っている人がいるのではないでしょうか。「あの人に声かけてみよう!」その初一念を生きましょう。“断られるかも知れない”“興味がないかもしれない”全て憶測でしかありません。どうするかは誘われた相手が自分で決められます。誘った後は神さまにお任せして、私たちは私たちにしか出来ないこの教えにふれ得たよろこびをそのままの心でお伝えしましょう!
 そして、日常生活に“初一念”を生きて参りましょう!

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